ハーグ国際私法会議は、学者に締約国の条約実施の実務の分析を依頼し、その結果をサイトで公開しています。
常居所の項目の論点として、
1 常居所の概念 (habitural residence)
2 子が出国するときに常居所をもたないということがありうるか
3 子は常居所を2箇所以上有することができるか
4 リロケーション (relocations)
5 期間を定めない移動 (open ended moves)
6 期間が限定された移動 (time limited moves)
7 シャトル監護 (shuttle custody agreement & agreements/ courts order fixing jurisdiction)
があげられています。
常居所概念
常居所は、ハーグ国際私法会議が、住所が法律上の概念であり、国によって意味が異なるため、住所にかわるものとして常居所概念を創り、それは事実上の概念であるとしました。これにより、条約に常居所概念を用いると、締約国間で同じ意味になるはずでしたが、実際には、国によって常居所の認定にあたり、居住の意思を考慮するかしないか、意思を考慮するとすると子の意思を中心に考慮するのか、親の意思も考慮するのか、親の意思を中心に考えるのか、と認定方法が異なっているという状況となっています。
リロケーション
他の国で新しい生活を始める意思があることについて明確な証拠があれば、それまでの常居所は失われ、新しい常居所を獲得する、
コモンロー諸国では、短期間で新しい常居所を獲得しうる、
大陸法諸国では、直ちに新しい常居所が獲得されることが認められている、
と分析されています。
終期を定めない移動(open ended moves)
終期を定めない移動、または、潜在的に終期が定められていない移動をした場合、比較的速やかに移動時の常居所が失われ、新しい常居所を獲得する。
終期が定められた移動(time limited moves)
外国への移動が終期が定めれらたものであるばあい、それが長期であっても、締約国の中には、移動時の常居所がその期間中維持されるとする国がある。
本条約の2つの行為のうち、連れ去りについては、連れ去り直前の常居所を問題とするため、移動後に新たな常居所を獲得しても、常居所の認定に影響はないのですが、留置については、留置の直前の常居所が問題となるため、留置の直前までに新たな常居所を獲得したかどうかを認定する必要があります。
たとえば、ハーグ国際私法会議の裁判例サイトに掲載されているドイツの裁判では、子が不法に留置されていると訴えられた事案で、子が父の同意のもとでドイツにいる間に、幼稚園に通園し、環境に馴染み、強い社会的な結びつきを発達させた結果、子の常居所地国はドイツとなった、と認定し、ゆえに留置は不法とはなりえない、不法な留置となるのは、他の締約国が留置のときの常居所地であり、そこへの返還が妨げられた場合のみである、としました(事件名 40 f 130/01, HK, ザールブリュッケン家庭裁判所 INCADT 引用 HC/E/DE 489)。
また、米国の控訴審裁判所においても、子が不法に留置されていると訴えられた事案で、短期間(約1か月半の夏休みの期間)の間に子は米国に常居所を獲得したと認定し、留置の開始日までに常居所地が米国となったとの理由で、申し立てを却下しています(事件名 カークカイネン対コヴァルチュク、445 F.3d 280 (3rd Cir. 2006) INCADT 引用 HC/E/USf 879)。
これに対し、大阪高等裁判所は、一方の親が子を他方の親と共に、他方の親の母国である日本に送り出した後、不法な留置を主張して返還を求めた事案で、返還を求める親は、滞在期間の延長を繰り返していたが、期間を限定された日本の滞在という目的そのものを変更したとは認められないため、子が日本の学校に通学し、日本に馴染んでいたとしても、子の常居所が日本となったとは認められない、としました(平成27年(ラ)第1404号)。
大阪高裁は、終期を定めていない、または潜在的に終期が定められていない場合には、子は移動後速やかに新たな常居所を獲得する、と分析結果を回避するため、返還を求める親が、期限を限定した滞在(つまり、いつかは戻そうと思っていた)と考えていたのであれば、終期を定めた移動に該当し、子が馴染んでいても、子は新たな常居所を獲得しない、という、本条約締約国のどこでも採用されていない、常居所について極めて特異な法理を編み出したようです
なお、この大阪高裁の事案では、大阪高裁の決定がなされる前に、子の出国前の常居所地国の裁判所により、返還を求める親は、その意思で、長期に子を日本に送り出しており、子は日本で学校に通い、日本の社会と強い結びつきを持ったために、出国前の常居所地国は子の本拠国ではない、という決定を出し、確定しています。
子の出国前の常居所地国の裁判所の判断と、大阪高裁の判断を並べてみると、大阪高裁の判断がいびつで不可解なものであることがよりはっきりとみてとれます。